いすゞのチャートである。
オレンジで買って、緑で売る。実に簡単なことで利益は得られる。
次いでグンゼのチャート。
緑で新規売り、オレンジで買い。これまた簡単なことだ。
では、日油ではどうか。
こういうチャートは何もしないに限る。
「チャートの解説は後講釈だ」と言う人がいるが、ごもっともな話である。
確かに儲かるチャートを切り抜いて掲載している。
では、未来の講釈を好んで行う予想屋さんは、どのくらい正しいことを言っているのか?
評論家と言われる人でさえ、未来のことなどそうそう当たるものではないし、
未来のことを考えても当たらないことは嫌というほど経験していると思う。
そもそも、経済評論家を目指したいのか?実践家を目指したいのか?
私がそうであったように、このことに気づけば自分が何をやりたいのか見えてくる。
上にあげた3つのチャートのように、シンプルに考えれば何も悩む必要が無い。
高度な技術も戦術もいらない。移動平均線と株価さえ見ていれば、
買い時が見えるし、売り時も見えてくるし、その結果として儲けを手にできる。
昔も今も、そして未来にも、上にあげたようなチャートは現れるはずである。
同じようなチャートが現れるとするなら、やることは決まってくる。
上げると思うのであれば、買いでとればいいし、
下げると思うのなら売りでとればいいし、
動かないあるいは、自分では取れないと思えば何もしなければいい。
そして、思ったことが間違っていれば、切ればいい。
実践家のやっていることは、実は極めてシンプルだということである。
簡単なことであるけれども、現実には多くの人には結果が伴わない。
私もそうであったが、簡単なことでは取れないと思いこんでしまっている。
- 複雑なことをすれば取れるはずだ
- 未来を正確に当てる努力を怠らない
- 経済指標に秘密が隠されている
- ファンダメンタルズを読み込めていない
- 何かテクニックがあるに違いない
- 自分を信用して無限ナンピンを繰り返さないからだ
- 資金効率を上げるために信用枠をフルに使ってみよう
- 数を打っていないから当たらないんだ
あれこれ、悩んだし苦しんだりもした。
自分が考えることは間違いないはずだとこだわった。
苦労の末には必ず結果がついてくると固執した。
その結果、私は財産を失った。
すべてを失うことで、違う道を歩んでいたことにようやく気付くことができた。
自分が目指していたのは、アナリストへの道だった。
自分は評論家となり大学の教授職が欲しいわけでも、
なんとかステーションに出演して経済を語りたいわけでも、
証券会社のレポートを書きたいわけでもなんでもない。
「相場で勝ちたい」というのが自分の目指すべき道だと気が付いた。
例えれば、
野球の評論家やスポーツ新聞の記者よりも、野球選手になりたいということ。
グルメリポーターを目指すのではなく、シェフになりたいということ。
ゴルフの解説者になりたいのではなく、プレーヤーになりたいということ。
つまり、自分の目指す道とは実践家になるということである。
評論家の仕事は、主に表現力である。
実践家の仕事は、物事に取り組む姿勢であり実践力である。
にわかレポーターやにわか評論家では、実践家の影の努力は知らないし、
知ったとしても真似ができない。
「なんでイチローほどの才能があるのに、キャッチボールに時間を掛けるの」
「有名なシェフなのに、なんで下ごしらえに時間を掛けるの」
「なんで遼君ほどの才能があるのに、素振りに時間を掛けるの」
と言っているようなものである。
実践家として成功したいのなら、
- 当たり前のことを当たり前に、
- 淡々と同じことを繰り返し、
- 勝っても奢ることなく、
- 負けても腐ることなく、
- 自分の成績を常に反省し、
- 常に最良の方法を模索し続け、
- 世間の常識を鵜呑みにするわけでもなく、
- そうかといって、常に批判的な目で見るでもなく、
- 第三者的な立場で客観的に物事を捉える・・・
このような、当たり前にして細やかなことは、一般の人ではわからないことである。
本当に大事なことを、大事なことと思わない。だから、儲かる人はごく少数なんだと思う。
多くの人は、悩むことが大好きだということだ。