20~50代の男女を対象にしたあるアンケートでは、

将来のお金に対して不安があるか聞くと、84.2%が「不安がある」と回答した。
将来のお金に関して不安を感じる理由を聞くと、「もらえる年金額が少ないと思う」が最も多く50.6%だった。次いで「今後収入増加が見込めない」(48.9%)、「物価が上昇し続けて支出が増えている」(48.5%)という結果に。

とある人のコラムから




40歳までは、「足し算の人生」だった。
素っ裸で、何も持たずにこの世に生まれてきたのに、愛されて、与えられ続けているうちに、いつの間にか傲慢になっていった。お金も物も、次々と得ていった。30代までに叶えたい夢、達成したい目標は、すべて実現した。

人からは、してもらったことばかり。
こちらから人のためにしたことなんて、数えるほどもあっただろうか。

足し算しかしないから、目に見えるモノは、次々と増えていった。

増えれば増えるほど、満足するはずだった。それなのに、心の中には穴が開いていて、その間を冷たい風が通り過ぎていた。その風穴を埋めようと、ますます足していった。

足せば足すほど、さらに焦りが出てきた。手に入れれば、より多く持っている人と比べる。まだ足りない、もっと欲しい。必死で足していくうちに、私は、いちばん大切なものを失った。

独りになった私の前には、今まで足しに足してきたものが、うず高く積まれていた。時間も含めて、すべてが自由だ。それなのに、何もかもが虚しい。



すべて、手放した。


お金も物も、心が欠けていたら、何の価値も輝きもなかったからだ。

40歳は、人生の折り返し地点。時計でいえば、正午のようなものだ。軌道修正が必要なのではないか。 そんな時、私は一冊の本と出合った。

「40からは与える人生」
「少し損をして生きる」
「拡大よりも充実を」
「利よりも信を」


今まで読んでいた本には、まったく逆のことが書いてあった。


「簡単に成功する法則」
「目標を達成する方法」
「効率的な時間管理術」
「少ない労力で高収入」



「コザカシイ」 率直に、そう感じた。

40歳からは、「引き算の人生」を歩もうと決めた。人生の午後、夕方、そして夜に向けて。
人生の秋、そして冬に向けて。

感謝の気持ちで、静かな夜が迎えられるように。
温かい気持ちで、美しい冬が迎えられるように。

それはちょうど、彫刻をイメージさせる。何の変哲もない木や石の中から、素晴らしい作品が、その姿を現す。ただの塊を、コツ、コツ、と削っていく。カツン、カツン、と必要のない部分を省いていく。 引き算をすればするほど、本質が形になってくる。それは、もともとその中に埋もれていたものだ。

まるで、黙々とトレーニングに没頭するように。
たるんだ体を、コツ、コツと鍛えていく。
余分な脂肪を、カツン、カツン、と削っていく。
引き締まった、筋肉質の「肉体」が姿を表す。

不思議なものだ。引けば引くほど、心が安らかになってくる。手放せば、なぜか必要な分だけ入ってくる。


もう十分、これで満足。
豊かな気持ちで引いていくうちに、私は、いちばん大切なものを与えられた。

こんな世界があったのか、と思った。