全国に伊達直人ことタイガーマスクの
ラインドセルプレゼントが増えているようです。

私の児童養護施設訪問の件は以前お話ししました。
私の場合、匿名ではないですし売名行為が目的
でもありませんのでニュースにはなりませんが、
伊達直人のように匿名で、しかも、さりげない
援助の仕方というのは、世知辛い世の中にあって
マスコミも世間も大喜びするネタなんでしょうね。
マスコミの格好のネタだといっても、行為自体は
心温まるニュースですし、全国の伊達直人さんが
自分なりに世の中に貢献することは素晴らしいことです。
「投資力」の受講者さんからも伊達直人が出てくれれば
嬉しいと思いますが、気を付けなければならないことがあります。
それは、
まず、社会貢献する前に自分や自分の周りが豊かであり
幸せでなければいけない
と、私は思います。
自分や自分の周りが不幸な状態で世の中に貢献したいとか、
社会の役に立ちたいというのは、たんなるウヌボレです。
自己満足の世界です。
軽蔑して言っているのではなく、
その行為は本末転倒であるということです。


私が感銘を受けたある書籍に次のフレーズがあります。

「海の水が大陸をつなげているのと同じように、
感情が地球の人すべてをつなげている。

一人の人間が暴力的になると回りの人間は
影響を受けてすさんだ気持ちになる。

同じように一人が幸せになるとき、
周りの人間も影響されて幸せになるものだ」



つまり、自分が幸せでもないのに、
周りは幸せにはならないということです。
今現在は、伊達直人と世間で注目を浴び騒がれていますが、
一か月もすると完全に忘れ去られているはずです。

  • 素晴らしい行為だ。
  • 心温まるし世の中に貢献できる。


などと、熱い気持ちでニュースを見ているから、
自分も何かしたいと思っているだけの場合がほとんどです。
熱い気持ちが沸き立ちランドセルを送ったとしましょう。
数ヵ月後、誰も注目しなくなった時には、
「あれ、なんだったんだ。惜しいことをした」
と、口には出さないまでも、そう思う人はいるはずです。
心の中は完全に醒めきっていますし、
誰にも評価されなくなっていますからね。

本当に世の中に貢献しようとする人は、
誰かに注目されていなくても、評価されなくても
行動を起こす人です。

誰かに見られてなくてはできないとか、
注目の的になりたいとか思っているようでは、
目的が違うということです。
何をおいても、まず自分が豊かで幸せになること。
そして、家族や親せき、同僚や友人に良い影響を
及ぼしていくこと。
それをやっていれば、自然と社会貢献してみようと
いう気になってきます。
他人の評価なんてどうでもいいと思ってきます。
世の中が騒ごうが騒ぐまいがどうでもいいことです。


先日の報道番組で、大阪のドヤ街で暮らす人を
取材していました。
不況で日雇いの仕事もなく、住むところさえ
追い出されそうということでした。
しかし、その人は昔ススキノのクラブを経営し、
年収2000万円の時代があったそうです。
すべての人がそうだとは言いませんが、
ドヤ街で暮らす人たちのほとんどは、
それが自分のまいた種だということです。
欲の皮を張った結果のなれの果てですから
働くところがなくても、住むところがなくても、
食べるものがなくても、私には同情の余地はありません。
しかし、養護施設の子供たちは違います。
施設に世話になる原因を作ったのは、
子供たちではありません。
その親や周りの大人たちです。
これには立派に同情の余地があります。
そこにいる子供たちが不幸だとか、
可哀そうだと決めつけてはいけませんが、
一般家庭の子供と比べると格段の差があると
言わざるを得ません。
皆と同じようにランドセルを背負って学校に行きたい。
皆と同じように自分のグローブとバットで野球をしたい。
皆と同じように自転車に乗って遊びに行きたい。
皆と同じように野球を観に行きたい。
彼らは、贅沢することを望んでいるわけではありません。
皆と同じようにすることを望んでいるだけなんです。
彼らのささやかな望みを叶えてあげること。
そして、彼らが大人になった時、次の世代に
恩返ししてくれるように育ってくれること。
「一人が幸せになるとき、
周りの人間も影響されて幸せになるものだ」
ということですし、私はそう信じて疑いません。
ドヤ街の年収2000万だった人は、
社会の中では負け組です。


このポスター(⇒ ポスター)にある最下層で
横たわっている(屍?)人です。
最下層の人のお金は、企業や上層部にいるような、
実体がないようである人たちの懐に流れていきます。
最下層に居続ける限り、自分のやりたい事や
周りの人を豊かに幸せにすることは
出来ないとまでは言いませんが、所詮知れてます。
出来たとしても、ほぼ自己満足です。
それよりも、このメールを読む人は、
投資の可能性というものを感じているから、
投資にチャレンジしているんだと思います。
だとしたら、
屍や最下層のまま終わってしまうよりも、
周りがどう思おうが、どう評価しようが、
自分がやると決めたことをやり通すことで、
住むステージを変えることができます。
それからだと思います。
社会貢献することは・・・。
ランドセルを送るにもお金は必要ですし、
自転車、グローブ、バット、野球観戦をするにも
お金は掛かります。
それらを自己満足で終わらせないためには、
もっとお金が必要になります。
投資そのものが目的となっている人がいますが、
投資とは、目的を達成するための手段にしか過ぎません。

手段が曖昧な状態だとすれば、
最終目的なんてもっと曖昧なままですし、
ファンタジーで終わってしまうことになります。

だからこそ、本気でチャンジするべきだと思うわけです。