ご年配の方や、女性の方に多いのが、
「経済の勉強のために株をはじめた」
「欲は言わないけど、銀行金利より多少の利回りを得たい」
「少しでも自分の小遣いの足しになれば」
という動機で株を始める。
株を始めたものの、回数を重ねるたびに
精神的に辛い目に遭うことになり、
「今日は、いくら損した・・・」
「儲けられない、株なんかやるんじゃなかった」
「どこかに、損を取り返せるほどの情報は落ちていないだろうか」
と本来の動機からずれていくことになる。
運よく儲けることも・・・ある。
しかし、次の機会には、その儲けた分だけ損してしまうことに
なるわけで、トータルプラスマイナスゼロでも、
心の中には虚しさだけが際立って残る。
損することが怖くなり、1万円の含み損を放置してしまう。
「含み損だから、損するとは決まってない」
と自分に言い聞かせて放置する。
そして、5万円の含み損に膨れていく。
1万円の含み損が切れなかったのに、
5万円の含み損を切れるはずはない。
そして、10万円の含み損になってしまう。
そうなると、我慢の限界が来て、
チャートなど見ないことにする。
「株なんかするんじゃなかった。
貧乏人が欲を出すとロクなことがない」
と言い始めることになる。
最初に株を始めた動機は、どちらかというと「欲」というよりは、
「ささいな幸せ」を望んでいたはずなのに・・・、
それが、いつのまにか「強欲根性」になり変ってしまう。
人というのは、欲があるから努力もし成長もする。
しかし、「いつも何かが足りない」と考え始め、
すでに手に入れているものの価値を感じなくなることは、
あまり良いことではないと思う。
ためしに、今、失いたくないモノを10個書き出してみるとわかる。
誰でも10個ぐらいは書き出せるはずだ。
失いたくないということは、それは大事なものなのだが、
本当にその大事なモノの価値を感じているのかどうか・・・?
ということだ。
お金がほしいから投資をするが、本当に欲しいのは
お金じゃない。
本当にほしいものは、お金を手に入れた先にある、
人が羨むほどの豪邸だったり、車だったり、
洋服だったり、バックだったり・・・。
自分の感情を満たすための「モノ」が欲しいということだ。
人からよく見られたいとか、優越感に浸りたいとか・・・。
でも、それらの「モノ」は形や価値は違えど、
すでに手にしていると思うのだが、どうだろうか?
「経済の勉強のために株をはじめた」
「欲は言わないけど、銀行金利より多少の利回りを得たい」
「少しでも自分の小遣いの足しになれば」
という動機で株をはじめても、結局「強欲」が
心の中を支配することになる。
当たり前のことである。
それが人間だから。
歴史を振り返っても、権力とお金で争いが絶えず大きな戦争や
殺しあいが繰り返されてきた。
今の世の中でも、少し冷静になって見渡せば同じだ。
お金のトラブルで、簡単に人を殺めたり、陥れたり、騙したりする。
人は感情を満たすために行動を起こす。
そうであれば、自分の感情の動きを知ってトレードするのと、
感情のあるがままにトレードを繰り返すのでは、
違う結果が出るのは当然の成り行きだ。
さらに言えば、市場参加者の心理状態をある程度
読むことができれば、これからの株価の動きも
ある程度わかるというもの。
株なんて本来は難しいものなのではなく、実に簡単なものだ。
買う → 維持または増減 → 手仕舞い
たった、これだけのことだ。
簡単なものなのに、それを難しくしているのは、人間の感情である。
人間の「強欲」が複雑に、難しいものにしているわけだ。